仕事観と先輩と昨晩、商社時代の先輩と2人で飲んだ。

久しぶりの再会。渋谷駅で待ち合わせ、オフィス近くの沖縄料理屋で4時間近く。中々素敵なお店であった。

 

僕は率直な人が好きだ。そして朗らかで良く笑う人が好きだ。先輩は10年前と全然変わらずその美点を持ち合わせている。僕はとても楽しい時間を過ごした。

 

社会人1年目。それまで同世代としか接したことがなく、身近にもサラリーマンがいない環境で育った僕は、世間や社会というものに対する経験値が絶対的に少なく、社会のしきたりやマナーに疎かった。「仕事観」も独りよがりで、加えて始末に負えないことに、自分が正しいと思っていた。何の経験も無いのに。

 

案の定、そんな僕は結構苦労した。どうでもいいことに悩み、苦しんでいた。今考えると、上司も指導員もみんな非常に親切だった。親切すぎるくらい親切だった。でも、僕は相変わらず独りよがりで、周りに合わせようという努力をせず、分かる人だけ分かってくれればいいと思っていた。仕事は一生懸命やっていた。でも仕事は楽しいものというより、自己修行として受け止めていた。そして、何のために仕事をするのか、日々悩んでいた。

 

そんな中、同じ部の先輩達はいつも僕を助け、支えてくれた。きっと「しょうがないなあ、コイツ」と思いながらだったと思う、でも色々と親身になってフォローしてくれた。23時前に職場を出て、お決まりの店に行き、みんなで飲み、夜遅くに帰った。たまに山に連れて行ってくれた。そんな不器用な励まし方が大半だったと思う。でも、そんなことを繰り返すうちに、自分の中の悩みとか苦しみはいつしかどうでもいいものになっていた。学生時代チームスポーツが大好きだった僕は、仕事でも仲間がいることにやっと気づいたのだ。

 

お恥ずかしながら、未だに自分の中の「仕事観」は未完成だ。昨日の先輩との会話でもそれを気づかされた。自分の「原体験」が「仕事観」に繋がり、「仕事観」が「経営観」に繋がり、「経営観」が強い「想い」に昇華し、それが人々を動かす。それが今の僕には絶対的に足りない。だから迫力が無く、思考がフワフワしてしまうんだ。そう気づいた。

 

「まだボクも仕事観ができている訳じゃ無いんやけどな。」と先輩は言う。そんなことを言いながら照れ笑いする姿も昔と全然変わらない。

 

いつまでも目標の先輩の1人。そういう人が沢山居る幸せ。自分を応援してくれることへの感謝の気持ちと共に、自分も負けては居られないと、期待に応えたいと、強く思う。