今日の日経新聞に、マレー鉄道の廃線についての記事が載っていた。
正確にいえば、タイ・マレーシア国境からマレーシアを縦断しシンガポールにまで到達するマレー鉄道のうち、シンガポール国内部分についてのみ、先日6月30日に廃線になったというもの。
近年は自動車や航空路線の発達で利用者が激減しており、タダでさえ国土が狭いシンガポールにとってはこの鉄道廃止と鉄道用地の返還が悲願だったとのこと。シンガポールにとっては、国の中心部に大きな土地が手に入ったことになる。
このマレー鉄道の記事、日曜日の僕の頭をしばし嘗ての思い出に連れて行った。そう、あれは大学1年生の夏。僕の初めての海外旅行の思い出だ。
高校生の時に、図書館の司書の方(鈴木女史)に薦められ、戦国時代モノ以外はほとんど本を読まなかった僕が手に取った(取らされた)本が、沢木幸太郎の「深夜特急」だった。
それまで狭い名古屋の一地域からほとんど外に出たことがなかった僕は、そのバックパック1つでバスだけで、計画もなく、流れのままに大陸を横断していくその冒険話に大いに刺激され、大学に行ったら海外に行き、世界を見なければ、という思いで一杯になった。
また、書中で、旅に出る理由として書かれていた、「大切な人に語れるものが1つくらいあってもいいかな、と思った」といったセリフ(正確なのは忘れた)が、くだらないおしゃべりを嫌いハードボイルドにあこがれていた僕にとっては大層カッコよく、自分も1つくらい自分だけのストーリーを作りたい、と単純に思っていたのだ。
そんな思いを抱きつつ突入した大学生活最初の夏に、僕は高校時代の友人、モトジとタチと3人で、念願の旅に出た。飛行機でタイのバンコクから入って、長距離バスでマレーシアまで行き、そこからマレー鉄道でシンガポールへ到達するという旅だ。確か1週間も無かったくらいの短い旅行だ。
でも、ミミズが這うようなタイ語が全く読めずに迷子になったり、トゥクトゥクという三輪タクシーにボラれそうになって運転手とタイ語vs日本語で戦ったり、長距離バスで真夜中に何もない所でいきなり起こされ現地の田舎の屋台で強烈なタイフードを食べさせられたり、尿意が限界を超してバスで地獄の苦しみを味わうなど、道中バックパッカーならではのハプニングも多く、僕らは大いに満足していた。そして、クアラルンプールからマレー鉄道に乗り(とても快適だった)、最終目的地のシンガポールに着いた時、若い僕たちはとっても満足し、ラッフルズホテルでカッコつけてシンガポールスリングを飲んだものだ。
もともと、マレー半島をバスと鉄道で行くというアイデアは、地図上でしか知らない地球の大きさを、体で体感してやろう、というものだった。道中、僕らはお決まりのようにつぶやくのだった。「地球もそんなに広くはないなあ。」 一生のうちに、世界中を見てやるんだ。そう思っていた。
そんな気持ちを抱いていた18歳の夏。気がつけばあの頃の倍の年齢に近づいている。世の中のことを何も知らなかった、けれどもその分、情熱と1つのことにかける熱意がもの凄かったあの頃の気持ちを思い出し、若干切ない思いを感じながら、負けてられないな、と強く思った秋の日の朝だった。
マレー鉄道は永遠に僕らの心の中にある。