「最近の若者はガッツが無い」「最近の若者はネットばかりやってリアルのコミュニケーション力に欠ける」・・・。世の中のお歴々からの「最近のワカモノ論」を相変わらず新聞や雑誌で見かけることがある。

多分これは古代エジプト文明の王朝でも、ルネサンスの時代の芸術家たちでも、江戸時代の武家社会でも変わらない、古今東西共通の、延々と繰り返されている原理なんだろう。

 2011041 300x225 「最近のワカモノ」論について思うこと

僕もそろそろ見方によっては、「若者」という括りの中から外れてきそうな年齢になってきたけど、「青春とは年齢ではなく心の若さを言う」と歌った詩人もいたように、気持ちはいつでも若者。そして限りある人生で、自分にしかできないユニークな何かができれば、と常に思っている。

でも、確かに、「野心が足りない」とか「ガツガツ感が見えないよね」とか言われたり、物足りなさそうな顔をされると、「まあ、そうだよな」とも思ったりする。とは言え、それって本当に大切なことなのかな、というような違和感を感じていた。

 

そんなモヤモヤ感がちょっと前、1月10日の日経新聞朝刊の藤沢久美さんのインタビューを聞いてすっかりハラオチした。以下に引用する。

(インタビューアー)『若い人が元気がない』と指摘する中高年がいます。

(藤沢氏)「若い人はその時代に足りないものに対してハングリー。今の経営者や管理職の人は若い時、お金やモノに対してハングリーだった。今の若者は共感や社会を良くしたいとの思いに対してハングリーだ。上の世代が『若者に元気がない』と感じるのは、自分たちがかつて渇望したものを今の若者が求めないからだ」

(藤沢氏)「社会的な課題をビジネスで解決する社会的起業に関心を持つ若者が多いのは、今の時代に足りないものを生み出したいから。高度成長期の若者はお金やモノを生み出すため、家電や車を作る会社に入った。この人たちが豊かさを築いている間に足りなくなった部分に、今度は今の若者が光を当てていると考えれば、若者の振る舞いとして自然ではないか」

これは確かに僕の実感値と合うなあ、と。
そう、既にある程度出来上がったもの、ある程度満ち足りたものを上積みするために自分の時間・力を使うよりも、目の前にある課題、自分で違和感を感じる問題を解決するために時間を使いたい、すなわち今の時代に足りないモノを生み出したいと思うのだ。

 

だからなのか分からないけど、僕は、例えば、「地域」とか「グローバル環境下の教育」とか「医療」とか、そういった、現代の、そして将来も課題となり続けるであろう事に関わりたいと、ずっと漠然と思ってきているのかもしれない。

 

社会は70年周期だという説がある。日本でいえば70年前は第2次世界大戦の真っ直中。そのまた70年前は明治維新だ。東日本大震災も含め、日本社会が何らかの大きな転機を迎えているのではないか、と今回は割と本気で感じている。

 

その中で、自分の果たすことが出来る役割、果たすべき役割は何だろう。仕事の合間にコタツに入り、ふとそんなことを考える、6年ぶりの大雪の翌日であった。